玉人形(たまにんぎょう)こども頃、冬には誰でも一度は作ってみるでしょう。手袋を丸めて人形を作ったり、炬燵の上のみかんに指を差し込んだりして、人形劇の人形を作ります。おもしろくなって遊んでいると、「食べ物をそんなことに使ってはいけません!」としかられたりするものです。そう、みかんのあの丸さというのは、玉に当ります。それが玉人形のはじまりです。そんなふうに、玉人形は生活の中では身近な存在です。身近であるがゆえに、そのことに気がつかないことがあります。 玉人形について深く考えるきっかけとなったのは、1983年7月に「ガイ氏即興人形劇場」の玉人形を見たのがきっかけです。ガイ氏の玉人形を見ること2ヶ月前に、人形劇「花を咲かせたトロル」の中で、トムテの玉人形を作って公演していましたが、水田外史氏ほど玉人形への思い入れはなかったです。まだ、劇団を創設して1年も経たない間もないことでもありましたし。でも、水田氏の楽屋へお邪魔したり、公演終了後の打ち上げに参加させてもらったりして、玉人形への思いが変化していったのは間違いありません。 玉は、その形からわかるように究極のシンプルさを持ち、宇宙の星々が丸いことも、すべてが丸く収まるという完結さも持ち合わせています。また、「ぎょく」とも呼ばれ、宝石のように美しいという意味でもあります。昔は可愛い娘が生まれると、「お玉」をいう名前をよくつけました。八百屋の娘として産まれたお玉が、将軍家光の側室となり「玉の輿」という言葉も生まれたくらいです。そんな玉から生まれたのが、玉人形です。 小人のトムテの玉人形を見てもわかるように、演者が裸になりすべてがさらされる形になります。嘘がつけない人形でもあります。蹴込の中に演者が隠れて演じる人形とは、趣を異にします。着飾ることがありません。年配の俳優には、顔にそれなりのしわがあります。年相応の役をすることになります。玉人形も同じようなことが言えます。年とともの手のしわが増え、肌の張りも違ってきます。その時期にしか出来ない演目が出てきます。 「道行」の人形たちは、悲しい運命を背負っています。兄が妹を好きになり、妹も兄が好きになり、添い遂げられない思いが、若い二人を悲劇へと導きます。これの人形劇を、年をいってやれるかどうかは怪しい。年老いた手を見られて、老いらくの恋の果てに心中でもしたのかと思われるかもしれません。覗きカラクリなら出来そうです。人形の頭が玉になっていませんが、これも一種の玉人形です。 「道行」の原点は、人間まがいの中の「きょうだい心中」(山崎ハコ)です。歌は、国は京都の西陣町で 兄は二十一その名はモンテン 妹十九でその名はオキヨ 兄のモンテン妹に惚れて・・と始まり、何事かと鬼気迫るものがあります。オキヨは虚無僧の彼氏がいるからだめだと言い、虚無僧の彼氏を殺してくれたら一緒になれると答える。あるとき、オキヨは虚無僧に変装して覚悟を決める。兄は、その虚無僧が惚れた妹とは知らずに殺めてしまうという筋立てです。似た話は全国にあって、浪速悲歌(エレジー)の舞台は大阪で、明治に伝わる悲恋だとし、哀愁ある歌になっています。芝居や浄瑠璃が盛んだった江戸時代に、紆余曲折しながら伝え知ることになったのだと思います。だから、兄妹心中の中に、人形浄瑠璃の舞台が見えたとしても不思議ではないのです。もっといろいろ詳しく知りたい方は、「花迷宮 -聖 しいちゃん−」(久世光彦、平凡社)に書かれているので参考にしてください。 参考:山崎ハコの世界 スケジュール、業務受付窓口など 悲しみの表現
江戸からくり(茶運び人形復元)
人形劇に関わるものとして、カラクリ人形芝居とか、絡繰人形(からくり人形)と言うものがあります。その中に品玉人形と呼ばれるものがあります。手品(奇術)を演じて見せるからくり人形です。玉手箱を開けるごとに、中の品物が変わります。動画「江戸時代の伝統工芸―からくり人形総集編」の中で紹介されています。他に茶運び人形・春駒人形・涼風車・段返り人形などの動画もあります。 また、玉が球形ということで、その利点を活かした球体関節人形があります。関節などにその玉を挟むことによって、手足を自在に動かせる仕組みになっています。人形劇にも利用されるが、どちらかというと、関節などの可動性を利用したアクションフィギアとして使われることが多い。ゴムが切れると人形がばらばらになる可能性があるので、生の舞台で使われるより、テレビなどの動画には向いていると言ってもいいかもしれない。それと、人形ではないが、楕円の球形で思い浮かべるのが、玉子です。卵とも言うけれど、さて、どう使い分けるのかがときどき問題になります。生物的な卵と食用の玉子、たとえばニワトリの玉子というように分けるらしい。ダチョウの卵でオムレツを作るのなら、ダチョウの玉子になるのかもしれない。 左のキツネの人形は、玉が使われていないので、玉人形ではありません。ただ、演者が肌を暴露して演じるということにおいては、玉人形と通じるものがあります。このように、玉人形一つ取り上げただけでも、それに関係するものが数多く出てまいります。人形劇に携わった者は、それに関係するものに自然と目が行きます。そして、人形劇をやっている人はみんな、からくり人形「涼風車」のように、見えないところから一生懸命涼しい風を送り続けているのです。いつの日か、玉人形は、みんなの心の中を、ころころころころ、ころがって、ミカンやジャガイモに指を差したときのことを思い出させてくれるのです。 マトリョーシカ人形 ロシア民芸 水色×ピンク
獅子頭
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