五條十八景

詩画帖「五條十八景」は、19世紀の始め、文化年間に作られました。 その詩については、それより約百年前、紀州出身の高名な文人、祇園南海によって作られたものです。 五條の初代代官、河尻甚五郎という人が、その詩を見つけ、伊勢の国の三井丹丘という画家に画を描かせ、 詩を当時の筆頭老中松平定信公を始めとする、当代一流の書家に書いてもらったもののようです。 さらに題字ほかを寛政の三博士の一人柴野栗山に依頼、 最後に詩画帖「五條十八景」が出来るまでの経緯を大学頭林述斎に、 書を市河米庵に頼んでいます。

 以上をまとめますと、

  詠詩    祇園南海(28歳)   宝永元年(1703年)
  画     三井丹丘(76歳)   文化元年(1804年)
  書     松平定信ほか      文化元年(1804年)
  題字ほか  柴野栗山        文化二年(1805年)
  跋文    林述斎撰、市河米庵書  文化六年(1809年)

となり、最初に祇園南海が詩を書いてから100年以上、 河尻甚五郎が詩画帖作成を思い立ってからでも数年以上の月日が経っています。

 序文に、
「和州宇智縣五条の邊は、素より好山多く、水は百里、勝景は四序壮観にして、 賦す可き者少なからず矣。暇日、之を記して分ち、十八景を作る。 伏して文場の諸賢に毎景、各題一篇を乞う。 而して恵まれし者、佳境に詩を欠くの譏を免る。」
とあるように当時から五條の風景が美しいということは知れ渡っていたようで、 全国を渡り歩いた代官河尻甚五郎が、 時の筆頭老中松平定信公ら一流の書家に書を頼んだのも、 それだけ五條の風景が素晴らしかったということだと思われます。

 五條十八景画帖は

1.葛城夕嵐 2.高峰秋月 3.大嶺積雪 4.勢堂紅葉 5.高取弧城 6.芳野川筏
7.湯川遠村 8.二見耕人 9.大善寺櫻 10.千早樵夫 11.富山牧牛 12.犬飼駅馬
野原柴橋
13.御霊古祠 14.栄山瞑鐘 15.城山夕照 16.鶯井納涼 17.野原柴橋 18.牧瀬漁網

と題された十八の詩・画からなっていますが、 前にも言ったとおり、錚々たる書家が字を書いています。

どのような人物か、現在分っているだけでも

四   勢堂紅葉  中西研斎  江戸の高名な書家
五   高取弧城  源 家長  高取城主
十二  犬飼驛馬  尾藤二洲  幕府儒官 寛政の三博士の一人
十三  御霊古祠  古賀精里  幕府儒官 寛政の三博士の一人
十五  城山夕照  松平定信  老中首座 白河藩主
十六  鶯井納涼  源 家教  高取城主 家長の子 老中挌
十七  野原柴橋  阿部棕軒  福山城主
十八  牧瀬漁網  柴野栗山  幕府儒官 寛政の三博士の一人

 といった人物が揮毫を奮っています。

 当時、この「五條十八景画帖」がどのような評価を受けていたかは不明ですが、 五條に住む私たちにとって、このような貴重な資料が今も残されていること、 そして五條が昔から風光明媚の地として知られていたことは、喜ばしいことだと思います。