紙芝居ノート6 歴史kamishibai 紙芝居1舞台 2脚本 3絵 4台詞 5抜き 6歴史 7回想6、歴史紙芝居のはじめは何かというと、絵巻、写し絵、絵話などとその視点によっていろいろ言われますので、ここでは特に言及しません。紙芝居の元祖は絵巻と言われればそうですし、写し絵がその源流だと言われればその通りです。とりあえずここでは、紙芝居のはじめは立絵ということではじめたいと思います。
紙芝居―街角のメディア (歴史文化ライブラリー)
立絵は、紙に登場人物が描かれていて、余白を少し残して絵が切り抜かれます。余白は黒く塗られて、舞台背景が黒幕ですので、余白は溶けて人物が浮き上がってきます。この紙人形に串棒をつけて、それを操作することによって、登場人物が動きます。紙人形でする芝居ですから紙芝居ということになります。紙人形でする人形劇ならペープサートということになるのでしょう。この立絵は、縁日などの見世物として街頭でされたと言うこともあり、これを街頭紙芝居と呼ぶ人もいます。立絵に対して平絵が登場したのは、1930年(昭和5)のことです。平絵は、登場人物と背景が一枚の紙にすべて描かれていて、現在の紙芝居のスタイルをとります。
紙芝居昭和史 (岩波現代文庫)
平絵による街頭紙芝居の登場が、紙芝居文化のはじまりと言っても言い過ぎではありません。街頭紙芝居とは、大道で行われる紙芝居のことで、テレビが登場する以前は、子ども達に絶大な人気を得ていました。しかし、一方では街頭紙芝居をよしとしない人たちもいました。それは、街頭紙芝居は交通の妨げとなる、紙芝居屋の売る飴は不衛生である、絵が刺激的である、内容が教育的でない等の理由によります。確かにそういう一面もありますが、子ども達を夢中にさせた街頭紙芝居の魅力も忘れてはなりません。 その後、紙芝居はいろいろ使途方法を変えて活用されるようになります。キリスト教伝道、仏教説話などに利用されたり、幼児向けの紙芝居が企画されたり、教育実践の一環として演じられることも多くなりました。さらに、子どもだけじゃなく大人にもその対象を広げ他ものも登場します。その後、教育紙芝居の成果は、国策紙芝居へと利用されていきます。戦時下では国策紙芝居の出版はますます盛んになり、誤った紙芝居の利用は批判はすれども紙芝居の存在を否定すべきものではありません。
紙芝居の世界 完全保存版
立絵、平絵、街頭紙芝居、教育紙芝居、国策紙芝居と変遷して、戦後も紙芝居はGHQの検閲を受けながらも、街頭紙芝居も教育紙芝居も隆盛します。教育紙芝居は、印刷されて出版されることが多かったので、印刷紙芝居とか出版紙芝居と呼ばれることもありました。街頭紙芝居は、マンガや劇画に影響を与えて、テレビの普及と共に次第にその姿を消していきます。今日も街頭紙芝居を実演されている方もいますが、イベントなどで見かけるときは「昔懐かしい」と形容されてやられることが多くなりました。教育紙芝居の方は、戦後教育を実践する上において、教材として活用が推し進められて、歴史物、伝記物、文学作品物などが脚色されて登場してきました。また、図書館、文庫等でも紙芝居が活用され、個人への貸し出しも行うようになりました。 現在、紙芝居の活用スタイルは多様化して、テレビを電気紙芝居と揶揄していたことを思えば、その活用の場は狭められた感はありますが、紙芝居にしか出来ないことを追求していけば、まだまだ紙芝居の活躍の場が失われることはなく、その力が萎えることもありません。
紙芝居文化史―資料で読み解く紙芝居の歴史
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