[9:30起床(5:00トイレ起き)/晴/高2A]
きのうに続き、今朝もケロタンの出勤時には起き上がれず。さすがに9:30まで眠ると身体が軽い。
きょうは2か所で仕事の日。お昼のカルチャーセンターと夜の高2A。夏休みまであと3日。がんばるぜ、っと。
[5:20起床/晴/高3B→休講]
熱は下がったものの、昨夜はせきに苦しんだ。それでも薬をのんで寝たら、いつのまにか疲れて眠れていたようだ。朝にはだいぶ治まった。
食料の調達以外、ただただ休養。
夕方、かなり強い頭痛。しかし、以前買っておいたロキソニンをのんだらすぐ楽になった。
[7:30起床/晴/高3A(1学期最終)]
この1〜2週間のバタバタで疲れていたのだろう(私→耳ヘルペス/母→脳梗塞/父→衰弱)、昨夜はトイレに起きることもなくグッスリ眠った。 それでもまだ寝足りない感じがするぐらい。
きょうは、夜の授業を終えてからときわ台の実家に向かうつもり。 朝〜昼は、仕事が休みの妹が行ってくれる。
以下、箇条書きで。
[8:30起床(2:40トイレ起き)/晴]
成績表書き、2日間のアドバンテージを保つため、今日も1クラス分(火曜日に渡す分)のコメントを書いた。 あと3日授業をやったら1学期が終了。 いよいよ夏休みだ。
しかし、3年生の授業をギリギリまでやりたくて今年は8/12〜8/18の1週間を夏休みとしたが、考えてみれば(というか考えるまでもなく)、早かろうが遅かろうが、この時期1回休むことに変わりはない。 それに、高3夏休みの勉強を励ますという意味では、早めに成績表を渡してコメントを伝えるほうがいいようにも思える。
もう来年からは、8/10〜1/16の1週間を夏休みということに固定しようか。
ついに大阪の飲食店ではアルコールが提供されなくなったので、本日は家に籠もることにする。 阪急オアシスでおつくりと鰻の棒寿司を調達。 夫婦でチビチビ。
ま、たまにはこういうのも悪くない。
[6:00起床/晴(33.0度)/高1A]
きのうは昼前、能勢の実家に顔を出した。 食料を調達し(揚げナスの味噌汁がおいしいと母が喜んでいた。インスタントだけど^^;)、使えなくなった母のスマホをあずかって、15:00豊中駅前のドコモショップへ。
機種変更についての説明を受け(iPhone SEに変えるのがいいだろう)、その足で石橋の教室に向かう。 蒸し暑くベトベトまとわりつくような熱気のなか、あちこち移動して……本当に消耗した。
まあでも……懸案事項がひとつ、またひとつと片づいてゆくのは、心の安定につながるかな。
[7:30起床/晴(35.3度)/カルチャーセンター→高2A]
きのうは、悩める若き女性研究者(元教え子)からの電話に、みっちり1時間半つきあう。 近況を聞いたり(京大で学位をとって任期3年の職に就いたとのこと)、悩み相談に乗ったり……。 個性的な子で、誤解も受けやすいようだけど、がんばってほしい。
きのうの夕刊で知って、自宅のパソコンにモリサワの「BIZ UDフォント」をインストールしてみた。 確かに視認性が上がったような気がする。 もう2〜3日早かったら、きょうのカルチャーセンターの配布資料に使ったんだけどな。
[9:30起床/晴(32.3度)/高2B]
昨日早起きして寝不足だったせいか、9:30まで起き上がれず。
[4:45起床/陰(31.4度)/高1A]
昨日の授業(高3A)は台風のため休講にした(豊中・池田ともに暴風警報)。 結局、「やろうと思ったら授業できたね」といういつもの顛末となったが、こういう際、私は大事を取ることに躊躇しない。 あれでよかったと思っている。
しかし、昨日は1学期最終週だったため、全員の成績表を郵便物にして投函するハメに……すごく面倒(^^;)。 あ、ひとりだけ休講通知メールが届かなかったらしく(たぶんhotmailのフィルターのせい)、教室にやってきたから手渡せたけど。
[9:00起床/晴(38.1度)/高3A/少し走る]
きょうも暑くなりそう。
あと2クラス授業をしたら1週間の夏休み。
きのう成績表を書き終えたから、この2日間は普通に授業をするだけでいい。
ただし欠席者がいたら、成績表その他を郵便物にして投函せねばならない。
→追記:今日は4人も欠席者がいた(^^;)。面倒。
[7:00起床/晴(37.7度)/高3A/少し走る]
やっと早起きできた。 特に身体が快調というわけでもないのだけど。
今日の授業を無事終えて、仕事の義務からしばし解放されたい。
[7:30起床/晴(33.6度)/禁煙163日目/高1B]
一応、明日の高3Aの分まで成績表(コメント欄)を書き終えた。 これで学期末のバタバタもほぼ片づいた。 病み上がりでスタートし、不安いっぱいだった今学期も、無事に終われそうだ。
[6:00起床/晴(35.9度)]
早起き。
昨日顔を出してくれた卒塾生(大学1年生)、3人のうち2人が「大学が面白くない」とのこと。 ま、専門課程に進むまではそういうもんです。
さて。
今日は2か所での仕事に精を出すとして、明日(旅行前日)は……
・洗濯→(もちろん)干すところまで。当日の朝、取り込んでから出発する。
・ひげをそり、電気カミソリを充電。
ん? こんなもん?
本日は2か所で仕事の日。 カルチャーセンターと高2A。
[10:30起床/晴(34.5度)]
今朝はゆっくり眠る。 ここ数日続いた睡眠不足が解消できた。 まだ最高気温30〜35度の日が続くが、もはや暑いとは感じない。 猛暑の峠は越えた気配。
寝坊したため、今日の成績表書きもズレこみそう。 ま、体調維持のためには仕方なかったように思う。 昼ごろからボチボチ進めよう。 一昨日・昨日のノルマは果たしたし、今日の分が片づけられれば旅行準備も何とかなる。
本日は高2B。 合間に高1の成績表をつけること(2クラス28人分)。
14:00すぎ、高1Aの成績表をつけ終わる。 このクラスはつけやすかった。
あとひとクラスで全部終わるんだけど……なんか、イマイチ気持ちが乗らんな(まあでも、今日中にやってしまうだろう)。 明日は、ケロタンからおさがりでもらったスーツケース、人生初のスーツケースを出さなきゃ(ずっとバックパックを使っていた)。
16:30すぎ、ふたクラス目も完了。 ふー。 ふーーーっ! どうだ、終わったぞ。
明日のカルチャーセンターの教材をプリント。 旅行に持っていく衣類をゴソゴソ用意したり。
[8:10起床/晴]
昨日は京大で読書会。 阪急京都線の特急、停車駅が多くなり(淡路やら茨木やら高槻やら)京都まで時間がかかるようになった。 四条河原町からはタクシーを使う。 京大までは2時間見ないとだめだな。
夜は百万遍の居酒屋で懇親会。 ひょっとしたら某氏の壮行会になるかもしれぬ……ということもあって、機嫌よく、たくさん飲んだ。
本日は高3B。 成績表は昨日のうちに書いておいた。 今日は少し疲れているけど、明日・明後日を頑張って、木曜までの成績表を1日早く仕上げ……木曜のカルチャーセンターもこなしたら、いよいよ夏休み。
[6:00起床/晴]
1:00ごろ眠ったら、6:00に目覚めてしまった。
睡眠不足だが、コーヒーを飲み新聞を読んだあと活動開始。 明日の分の成績表をつけ始める。 9:00終了。
本日は高3Aクラスの補習。 授業までまだまだ時間はあるが、仕事もどっさり。 明日予定していた甥っ子とのプール遊びは、来週に延ばしてもらったほうが良さそうだ。
・明日の授業準備。成績表をつけるためテスト類は片づけたが、和訳などの提出物がまだ残っている。
・明後日の成績表。これで終わりだけど、14人クラスでけっこう大変。その前にテスト類をつける必要あり。
・木曜のカルチャーセンターの準備。
・浪人生からあずかっている添削物2件。
[10:10起床/快晴(猛暑日)]
昨夜は思っていたほど早く寝つけず。 6時間ほどの睡眠。 もうちょっとグーッと眠れないかなあ。 やっぱりトシなのか。
何となく億劫に感じて先延ばしにしていた入試問題過去問の添削を午前中にやってしまう。 取りかかればどうってことない。 終わってすっきり。 良い1日のスタートだ。
今日は暑いぞお。 14:00で35.3度。 今季初の猛暑日。
実家の母から電話。 用件は、むかし私が使っていた部屋のエアコンのコントーラーの所在(かおるが旧私の部屋で夏休みの勉強をしているらしい)。 そんなん知らんっちゅうねん(笑)。
だが、気にかかっていた自分史(笑)のなかの記憶の欠落を母に確かめ、埋めることができたのはよかった。
このweb日記をつけ始めた1996年以降は、毎日何をしていたか、かなりはっきり分かる。 人生への見方・処し方が変わったかもなあ。
「なかった」第6号掲載の菅野拓「日本における書写材料についての一考察」を読んでいて、懐かしい名前に出会った。 高校時代に3年間英語を習った恩師羽田正氏(現東京大学東洋文化研究所教授)。
ある学会で、「『イスラム世界』、『イスラム世界』などと、実態のないものをさもあるかのように言うてたら、ほんまに『イスラム世界』が出現してしまうで」という趣旨の、歴史学そのものを見直すような提言をされたらしい。
高校時代にそういうことを習っていたら、史学を選んだかもしれないな。
今日はちょっと懐古的気分の日なのかもしれない。
本日は高3A。
自分史メモ
・1960 6月27日、京都市上七軒にて生まれる。父誠信33才、母田鶴26才。
・1963(3才) 同市大将軍西町33に転居。11月11日、妹由起子が生まれる。
・1965(5才) 4月、洛西幼稚園に入園。さくら組。
・1966(6才) 4月、同幼稚園月組。
・1967(7才) 3月、同幼稚園卒園。春休み中に豊中市走井267に転居。4月、豊中市立蛍池小学校に入学。
・1968〜1971(8〜11才) 同小学校2年〜5年の間、1学期学級委員を務める。
・1969(1970?)(9 or 10才) 走井の同じ住宅街のなかで転居。少しだけ家が広くなる。
・1972(12才) 4月、同小学校6年。学級委員制度なくなる。児童会運営委員長を務める。
・1973(13才) 3月、同小学校卒業。4月、豊中市立第五中学校に入学。バレーボール部所属。委員の履歴は覚えていない(学級委員みたいなものをやったような気もする)。4月、岩野英語塾に1年遅れで入塾。
・1976(16才) 3月、同中学校を卒業。4月、大阪府立北野高校に入学(大阪星光学院・桃山高校にも合格していた)。文芸部に所属(2年上に山田五郎がいた)。
・1979(19才) 3月、同高校を卒業。4月、京都大学文学部に入学(共通一次元年)。L4クラスだった。京都市上京区で下宿住まい。
・1980(20才) 前年の冬、椎間板ヘルニアを患い、新年早々下宿を引き払って豊中の実家に戻る(ひと月ほどで回復)。4月、岩野英語塾のアルバイトを始める(その後30年近く勤めることになった)。夏、自然気胸を患い、ひと月入院。秋、京都市左京区で再び下宿住まいを始める。
・1981(21才) 下宿を引き払い、豊中の実家に戻る。
・1985(25才) 3月、同大学を卒業。1年間、浪々の身を味わう(京大文学部聴講生)。京都市左京区で三たび下宿住まいを始める。
・1986(26才) 神戸大学大学院(修士課程)に入学(京大大学院は不合格)。下宿を引き払い、能勢の実家に戻る。
・1987(27才) 9月、中国武漢大学に留学。
・1989(29才) 3月、中国より帰国、復学。留学中は1度も帰国せず。中国国内で、三峡、岳陽、雲南、曲阜、青島、海南島、香港など旅行三昧。
・1990(30才) 3月、同修士課程を修了。実家が能勢東ときわ台に転居。4月、博士課程に進学。京都外大で非常勤講師を始める(1994年3月まで)。
・1991(?) このころ、豊中市岡町の1Kアパートに転居。ひとり暮しを始める。
・1993(33才) 3月、博士課程中退。4月、関西大学・光華女子大で非常勤講師を始める(光華女子大は1996年3月まで)。10月、親和女子大で非常勤講師を始める(2005年3月まで)。
・1995(35才) 1月17日、阪神淡路大震災。岡町で被災。4月、神戸学院大で非常勤講師を始める(1997年3月まで)。
・1996(36才) 10月26日、妻順子と結婚。豊中市内のマンションに転居。
・2000(40才) 4月、神戸大学で非常勤講師を始める。
・2006(46才) 4月、能勢電多田駅前に多田英漢塾を開設。
・2008(48才) 12月、西宮ガーデンズにあるNHKカルチャーセンターで「漢詩鑑賞講座」の講師を始める。
・2009(49才) 3月、岩野英語塾をやめる。多田英漢塾をたたみ、4月より阪急石橋駅前に野原英語塾を開設。
……(以下追記)……
・2010(50才) 3月、関西大学の非常勤講師をやめる。あと残っているのは神大非常勤のみ(カルチャーセンターと)。
・2012(52才) 9月、野原英語塾を移転(やはり石橋界隈のコウベヤビル4階)。
[10:00起床/晴]
昨日は惜しいところで猛暑日にならず(34.1度)。 最も暑くなるはずの時間帯に雨が降った。
8/4からのそばがら枕復帰で、ほぼ首の凝りが取れる。 今朝は楽だ。
今日も成績表つけから。 高2B。
午前中、半分ほどつけ終える。 すぐそばの窓際でおっちゃんたちが塗装作業をしているため落ち着かない。 彼らが昼休みをとったら本腰を入れよう。
14:00前、成績つけ終了。
午前中に起きると、1日が長く、余裕がある。 あんまり早く起きても持て余すから、今日ぐらいが最善。 10:00起きは7/30以来か。 この1週間、ダメダメだったんだな。
この夏は体調が良い。
2005年の夏に体調をくずして以来、季節の変り目と酷暑の時期は身体が重く、時にフラッとすることもあった。 主な症状は首のリンパ腺の腫れと微熱(症状だけなら慢性疲労症候群に似ている)。 2006年、2007年と少しずつ回復はしていたものの、本調子と呼べる状態ではなかった。 今年は本当に楽。 先日はケロタンからも「この夏は熱が出えへんなあ」と指摘された。
一番良い影響を与えているのは(たぶん)食生活。 メインの食事を午後に1度とり、夜は食べても食べなくてもよい。 ケロタンが怒るから食べることも多いが、サンドイッチをつまむ程度にして空腹で寝る。 1日中、身体がすっきりしている。
ここ数年の夏の食事。 調子を落とした2005年は生菜食・フルーツ中心だった(回数にはこだわらない)。 2006年は1日2食で、玄米ごはん・豆腐・ワカメ・シーチキンが基本(足りなければ夜にレーズンパン)。 2007年はパン(ライトカンパーニュ)ばかり食べていたようだ(日に何度も)。 どうやら内容が問題なのではない(重要なのは量と回数)。 ここにきて、自分に合った食事のリズムを見出したように思う。 その証拠に、食事について考えることがほとんどない。
[10:00起床/晴]
トイレの水洗タンクの修理で起こされる。 すぐ修理にかかり始めたのは良いけど、朝のトイレに行きそびれた。 ひやひやしたが手際よく終了。 膀胱は破裂せずにすんだ。
[10:50起床/晴]
深夜、暑くて眠れぬ時間帯あり。 遅めの起床。 昨日はすごく体調が良かったのだが、さすがにこれではだめ。
台風が近づいているらしい。
起床後すぐ、今日渡す予定の成績表を書く(高3)。 何事も余裕をもつのがいい。 と、引き続き、明日の高1の分も所見だけ書いておく(点数・席次は夜に入れる。受け残しのテストを今日受けに来る生徒がいるため)。 13:00すぎ、一段落。
台風が連れてきた熱帯の空気がものすごい。 現在の気温、32.2度。
引き続き、明日の高1に渡す夏休みの宿題プリントを作成。 14:00すぎ、一段落。 現在の気温、32.9度。 あれっ、それほどでもないのか。
高3の授業を終え、気づいた。 今日テストを受けに来ると言っていた高1の生徒、結局来なかった(疲れたのか、天候のせいか)。
帰宅後、明日の成績表を仕上げる。 小テストも作ったり。 1:00ごろ、一段落(いや、もう今夜は仕事はない)。
[晴(炎暑が続く)]
電話機不調。 新しい電話機に取り替えてもらう(NTT。3万5000円。来月支払い)。
午後、塾へ。 来年度の時間割について主だったメンバーで議論。 単に従来通りのやり方を踏襲するだけでは不十分だと皆が感じている。 少し話が前進したように思う。
夕方帰宅。 どうやら熱が上がっているらしい。 計ってみると37.6 C。
これはいかん、と肥田春充「天真療法」を復習。 「安静」について大いに悟るところがあった(下段参照)。 その後は安静にすごし熱も下がる。
病気治しは癖直し
いったんフォーム化し一見うまく回転しているように見える習慣を変えるのは難しい。
しばらくやめていたパルスイートをまた使いだした。このキレの良い甘さは、他のものではなかなか得られない。
[9:00起床/晴]
このところ毎日見ている中国ドラマ「親情樹」、登場人物がよく口にする「要不」はどうやら「よかったら」「よろしければ」のニュアンスをもつ発語の辞らしいと気づく。 知らんかったなあ。
昨夜はサッカーアジアカップの決勝戦(日本対中国)。 開催地中国の野次・罵声がひどかったが、アウェーの不利をものともせず日本が3-1で勝った。
しかしスポーツっちゅうのは難しいもんやな。 観客の存在を前提とするプロスポーツは、要するに「見せ物」。 本質的には娯楽(=価値のないもの)だと思っている。 が、娯楽として考えれば妙に面白いのも確かで、スポーツは自らやるのが本道だと思う半面、試合をやっていればつい見入ってしまう魅力もある。 しかし、「ファン」やら「サポーター」やら称する群集化した身びいき応援団の低能ぶりには辟易させられるし、高校・大学で運動部に入るとほぼ間違いなく愚民化していくのも知っている。 これは人間に幸せをもたらすものなのか不幸をもたらすものなのか。 一般論の無意味は悟っているけど、ふと問いかけたくなってしまう。
[7:30起床/台風接近/みみちゃん155日目/腱鞘炎84日目]
雑用を先延ばしにするとロクなことがない。 起床後すぐ、昨日の欠席者への郵便物を作って投函しに行く。
うっちゃんの掲示板で知り、気にかかっていた秋葉忠利広島市長の平和宣言を読んでみる。 教師をやってる自分に最も大切なのは、やはりここだな。
同時に、世界中の人々、特に政治家、宗教者、学者、作家、ジャーナリスト、教師、芸術家やスポーツ選手など、影響力を持つリーダーの皆さんに呼び掛けます。いささかでも戦争や核兵器を容認する言辞は弄せず、戦争を起こさせないために、また絶対悪である核兵器を使わせず廃絶させるために、日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか。自分が「影響力を持つリーダーの皆さん」と呼ばれるほどの存在でないのは確かだし、思い上がる気もまったくない。 けど、だからと言って「教室その他で愚かな言動をとっていい」となるはずないもんね。 「絶対悪」程度の言葉に引っかかるようでは人間としてまだまだや。
1日中、台風接近のニュース。 しかし私は出かけなければならぬ、出かけねばならぬ。 せんべいさんが大阪にやって来るのだ。
私は何事につけ、大事をとって無理をしない性格だ。 しかし今日(だけ)は、無理をしてでも出かけねばならぬ。 朝、日記を更新する際、せんべいさんとの初対面が奇しくも7年前の今日だったのに気づいたのだ。
私はそこに運命的なものを感じた。 ブルーの「生せんべい」を7年前の日記からペーストできるのが連用日記の妙であろう(他で使ったことのないブルーを使っているのは、たぶん当時せんべいさんがホームページで使っていた色をソースから取ってきたのだと思う)。 ペーストするのだ、ペーストするのだ。
で、リーガロイヤルホテル。 私がリクエストしてホテル内の焼肉屋で夕食をとり、その後お茶を飲んでから別れた。 大学に職を得られたとのことで、話はおもに授業のことや大学内での諸々のこと。 ふたりとも声が大きいのは相変わらず。 楽しかったー。
今夜はごちそうしましょう。 という言葉に甘え、次回は私が寿司をおごろうと約す。 そういう間柄があってもいい。
毎日の発話というか言説というか能記というか所記というか、なんのこっちゃかわからんが、それらの半分以上は「暑い」で占められているように思う。 なんか、「暑い(な/ね/なあ/ですねえ)」って言うために生きてるみたい。
しかしこの大阪の暑さ、やっぱり思い上がった町の人間への罰(バチ)なんだろうな。
去年の日記、「いとう」は「大切にする」の意味で書いたのだが。 下手な文章だ。
そう言えば、内田先生はまた吸われているとも聞く。 先日会った山上も、9年断煙していたのに再び吸い始めたそうだ。
9:00起床。 きょうもあれこれ忙しい(塾が1学期最終授業ゆえ)。
愛読する日記書きに、現在禁酒中の人がひとりと日々飲んだくれている人がひとり。 どちらが我が身をいとう態度であるかは言うまでもない。 のだが、この手の事柄は本当に難しいと思う。
私も以前はよく飲んだ。 何が難しいと言って、飲酒は身体を痛めつけ後悔のもとになる一方、確かに愉悦・解放を与えてくれる側面もあることだった。
「依存」についてあれこれ学んだところでは、例えばひとり孤島でアル中になったとしても、定義上、それを依存症とは言わないらしい。 周囲に困る人を生み出さない限り、社会生活のうえでは「問題」になり得ないわけで、そう言われると一瞬「なるほど」と思う。 自由とはそういうものなんだろうな、と。 しかし、本人が困っていれば、やはりそれは問題なのではないか。 「何とかしたい」と願うのも人情ではないか、とも思えるのだが……。
ところが。 どうも、そう願うこと自体が新たな問題の始まりであるらしい。 つまり、この「何とかしたい」という気持ちによって「何とかできる」と考える態度が、すでにセルフコントロール幻想に侵されているというのが現在の考え方だそうだ。 整理してみると、孤島で勝手に、はOK。 社会で他人を困らせないのも、定義上OK。 他人を困らせないが自分が困っている、というのはひとつ前と同じだから定義上OK。 なんだが、それを変えようと考え始めるところから別種の危険領域に入る。 そもそも嗜癖や依存はコントロールなどできない、というのが基本。 変わるべくして変わる、というのしかないわけだ。
確かに、私自身かつては嗜癖的であったのがそうでなくなったものを考えると(アルコール・インターネット)、嗜癖状態を脱したのは、セルフコントロールによってでなく、「底打ち」状態が訪れて憑き物が落ちるように脱したということに気づく。 敬愛する内田氏がすっぱりタバコをやめたのも、「底を打った」からではないかと思われる節がある(もっとも自ら「底打ち」状態を作り出そうとするのはセルフコントロールの一種で効果はない)。
同じ対象に向かっていても、嗜癖になる人と嗜癖にならない人がいる、また、あらゆるものが嗜癖の対象となりうる、ということを考えると、嗜癖が主体のあり方に関わる問題だというのは理解できる(「何事も心の持ちよう」などと表現すると、ちょっと違うような気もするが)。 これ以上言葉を連ねてもうまく表せないからやめるけど、私自身について言えば、いろんなものに対して自分の態度が嗜癖的であるかどうかだけチェックするようになった(最近では7/30)。 そして、コントロールの努力は完全に放棄している。
私自身に関わるこの種の問題と言えばタバコであるわけだが、だからこれも、自分がどんなふうに吸っているか眺めるだけにしている。 そのうち何とかなるかもしれないし、何ともならないかもしれない。 ま、神のみぞ知る、と任せている。
もうひとつ例を挙げると、少食生活も私にとっては我慢の要素がないから続けている。 これがもし「あと何日たったら好きなものを思うさま食べていい」などという条件付きでしか実行できないのなら最初から試みない。 自らを無用のセルフコントロールに追い込み不幸にしても仕方がない。
というようなことを今朝は考えた。
9:00すぎ起床。 暑い。
食事メモは終了。 夏休みは基本的に野菜しか食べない。
4-5日剃らずにいたらヒゲぼうぼう。 白いのもかなり混じっている。 なかなかスキンヘッドにできそうにないため髪は逆にのばしているのだが、首筋の汗が気持ち悪い。 家ではヘアバンドを愛用。 総合すると毛深いおばさんといった感じ。
起床7:00。 「早寝早起き作戦」の成否は、休日も早起きできるかどうかにかかっている。
恐怖の採点週間は昨日で終わり。 本日は給料日をかねたミーティング。 採点のすんだ答案・成績表などを返却するため、もう1週間授業。
うひゃー、3年前の教え子が学生本因坊になっている。 強いとは聞いていたが、教えてもらっておくんだったなあ。
07:30起床。
近所の医院。健康診断を受ける。
夜、与太呂。 あわびの前菜(酒蒸し)・ハモ(梅肉)・鮎の塩焼き・甘エビ(にぎりと頭を焼いたの)。ビール1本。お銚子3本。上田氏(not完but功)がよろしく言っていたことを伝える。
マッサージをしてもらっているうちに眠ってしまう。
9:00起床。きょうは暑くなりそう。
いよいよ今日から、足掛け3週間にわたる正真正銘の夏休みである。ふふふ。
きのう書けなかった「づつ」と「ずつ」。歴史的仮名遣いでは「づつ」のようだが(手許の古語例解辞典/小学館では「づつ」)、現代仮名遣いでは「ずつ」とするらしい。
現代仮名遣いの場合、基本的には「じぢずづ」は「じ」「ず」を用い、いくつか例外的に「ぢ」「づ」を用いるべき条件を設けているようだ。例えば「はなぢ(鼻血)」のように、もともと「ち」であった音が2語の連合によって濁音になる場合や、「つづく(続く)」のように同音の連呼である場合などですね。
そして、「づつ」の場合には、例外的扱いをする条件を満たしていないので「ずつ」が正解である、と……(「づつ」は同音「つ」の連呼のようだけど、それなら「つづ」となるんでしょうね)。
まあ、現代仮名遣いは、「個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」とのことだから、深く悩むこともないらしい。「づ」にすべき、「ず」にすべきという確固とした根拠がないわけだから(「現代仮名遣い」は役所のお約束事みたいなもんだから、根拠とはいわない……と、これは僕自身の見解)、どっちでもいいんでしょう。
以上、岡島さんからの御教示によって補足しておきます(岡島さんのホームページについては7/17にも「新明解」がらみで紹介しました)。どうもありがとうございます。
ちなみに、先日ばうわう深瀬氏が「UDO」に記しておられた言葉遊びは、すべて現代仮名遣いの規定に合致しているそうです。変なところで才能を発揮される方ではあります。
18:43夕方の追記。
14:00すぎ、JR新大阪駅に「X」とプリントされたTシャツを着た青年が……。
迎えるのは、最近とみに「疲れ」が見えるとささやかれるおやじ……。おやじのくせに、やはりマルコムXがプリントされたTシャツを着ている……。
初対面のせんべいさんは、うわさ通り、とても快活な人だった(やっぱり声は大きかった^^;。実は僕も大きいんだけど)。
喫茶店で、僕の自室で、あれこれしゃべる。どういうわけか、せんべいさんは、僕の部屋を「木造アパート、4畳半、うじがわいてる」とイメージしていたらしく、普通の部屋ぶり(なんて言葉はないと思うけど)に驚いていた。
東京方面ではちらほらとオフが催されているようだが、僕は、オンラインで知り合った人と対面するのは初めて。とても不思議な感じのする体験だった。
夕食は、同行者も合流してインド料理屋。昨夜の激怒はすっかりおさまっているのだった。